第12回 より大事なのは、「学ぶことが楽しい」子どもの実現。

「教育現場は困っている 薄っぺらな大人をつくる実学志向」
榎本博明著 平凡社新書刊

心理学で博士号を取得し、現在はMP人間科学研究所代表を務める著者が、2022年度からの新学習指導要領など、一連の教育改革について書き下ろしたのが本書である。教育のあり方は、子どもの人生を大きくかえるほどの影響力を持つ。教育改革の動きに見られる矛盾点を指摘し、よりよい教育のあり方を模索するための問題提起となっている。
いくら知識を詰め込んでも、それを現実生活に応用できなければ意味がないとのことから、従来の知識つめこみ型教育が批判され、実用的教育へのシフトが求められている。そこで、アクティブラーニングや「主体的・対話的で深い学び」が叫ばれるのは周知の通りだが、はたしてそこで評価対象となる「主体性」とは何のことなのか。それを安易に理解してしまえば、子どもの育ちに弊害をもたらすだけだと、著者は警鐘を鳴らす。

たとえばプレゼンテーションや対話型授業で、流暢に自己アピールができる子どもを、「主体性が高い」と評価していいのか。それは内申書の点数をあげるために、過剰に他者に目配りする心性をつくりあげるのではないか。また、そうした場で自己アピールをせず、ひとり静かに本を読んでいる子どもは「主体性が低い」といえるのか。むしろ、ひとりで読書している子どものほうが、学びへの意欲をもっているのではないか――。

著者が改めて主張するのは、実用的教育の側が批判する「知識」の重要性である。体系だった生きた知識は、人間にとって全ての活動の基盤となる。最低限の読解力が築かれていないまま、実りのあるプレゼンも対話もできるはずがない。生きた知識にとって最も重要なのは、子どものうちに秘められた「わかりたい!」という思いを目覚めさせることであり、そのための働きかけである。教育学者の山本敏郎が述べるように、「問題は講義型の授業なのではなく、問いや課題が生起しない授業なのである」。
「楽をして学ぶ」のではなく、「学ぶことが楽しい」を実現するには、教師の絶え間ない工夫や考察が欠かせない。とはいえ、勉強でもスポーツでも芸術鑑賞でも、単調な訓練や辛い練習をくり返すことで、次第に基礎を習得し、楽しめるようになっていくものだ。その基盤として、子どもの非認知能力を伸ばすこともたいせつだと、著者は後半で記している。幼児教育の真価も、この点で小学校以降の学びに接続されるだろう。

教育改革は実はコロナ禍においてさらに加速する。実学志向とは一方で効率性や生産性追求の原理と重なる。巻頭論にも書いたが、「いまなぜ総幼研教育なのか」、自らその足元を問い直す機会なのではないか

秋田光彦

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