第7回 「音」から認識がかわっていく 赤ちゃんの長いことばの旅。
『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか 』
針生悦子著 中公新書ラクレ刊
子どもは「言語の学習の天才」といわれることがある。たしかに大人から見ると、子どもは楽々と習得するように思えるが実際はどうなのだろうか。東京大学で認知科学や発達心理学の研究に従事する著者は、子どもがどのように言語を身につけているのか、ことばを話す前からどのように言語の学習をはじめているのかといった主題の探求を進めていく。
まず赤ちゃんはことばの世界を生きておらず、そもそも物事にことばが対応することを知らない。たとえば母親が車を指さして「あれは車だよ」と教えても、赤ちゃんの注目は母親の手の形や、あたたかで優しい声色、「アレハクルマダヨ」という分節化できない音の流れなど、いろんなポイントに分散している。人の話し声をただの雑音とは別種のものとして「話している」「意味がある」と気づくことができるためには、実に様々な準備が必要なのである。
その準備は、とにかく「聞く」ことにはじまる。生後12ヵ月までの間に周りの人が出す切れ目のない音の流れを聞き続け、その分析に取り組むのだ。大人の目からは進歩しているように見えないのだが、生まれてから1年で「母国語ならではの音の聞き方」を身につけていくのである。その次の課題は「話す」である。単語を話せるようになるには、もちろん身体的な発声面の発達が必要であり、その試行錯誤の使用実践から赤ちゃんは一つひとつの単語の意味を見つけねばならない。何しろ辞書やネットに頼ることは一切できないのだから、単語の意味とは予測と実践の中で自ら発見するものなのである。
子どもは目前の状況の中で、それが必要であることを実感しながら言語を学んでいく。2歳になった頃には平均200語を話し、文を構成していくことができるようになる。それは自らその言語の音の聞き分け方、発音の練習、単語の種類や学習の仕方までを見つけ、築き上げてきた基盤に根差した200語であり、単なる丸暗記の200語とは全く次元が異なる。このような基盤こそが、その後の爆発的な言語的成熟をもたらすのである。ただし、このような2年間のすさまじい学習を経ても大人の言語レベルにはまだまだ追いついていない。ひとこと話すまでに1年、単語をつなげて文を話すまでにもう1年かかる子どもの言語学習は大人が思うほど容易な道では決してないのである。
総幼研の言語日課もまた、まず与えるは環境である。最初、カードに何の関心も示さない子どもが、数ヵ月経ってはじめて反応を表す。意味を記憶させたのではない。視覚、聴覚、あるいは身体の持てる感覚を総動員して、言語体験を身に刻んでいるのである。長い長いことばの旅の第一歩。その意味で、ゼロ歳児の日課活動ほど尊いものはない、と思う。
秋田光彦