■平成時代に「失ったもの」
平成最後の新年を迎えました。今年は総幼研の創立35周年となります。
さて、昨年末の毎日新聞で、この30年間を振り返り、平成時代に「得たもの」「失ったもの」について読者アンケートをしていました。いずれもトップは「家族」でしたが、その後、前者は「地位」「マイホーム」「友人」と、後者は「心」「つながり」「思いやり」と続きます。「得た」ものは形や人格があるが、失ったものは内面的であり、また必ず相手を伴います。別のことばでいえば、得たものは所有できるが、失うものは誰かと共体験しているといえます。
しかし、なぜこれほど「つながり」が関心を集めるのか。昭和の時代は既存の共同体、家族、地域、会社といった縁が安定しており、殊更に「つながり」が強調されたことはなかったように思います。時代の推移の中で、よくもわるくも個人に注目が集まり、自己が強調されるほど、それだけ皆、孤立感を深めていったのかもしれません。
AIの時代、これからどんな時代になるか予見はできませんが、確かなことは、テクノロジーが進化すればするほど、身体的なつながり、肌を寄せるとか、いっしょに汗をかくとか、手をつなぐといった機会は減っていきます。VR(バーチャルリアリティ)の進化は、人間の基本感覚さえかえていくことでしょう。それゆえ動作や移動は確かに軽減され便利になるが、だからといってつながりは豊かになるのでしょうか。人間は情報を共有していればつながっているわけではないのです。
■他者との信頼や共感関係
人類にとって共同体の始源は「共食」「共育児」であったという説があります。食べることはもちろん、「家族」という概念のない時代から、人と人は共に育てあいながら、つながりを形成していきました。「場」や「体験」を共有し、皆で時間を過ごし、共に行動する。冒頭のアンケート結果は、そんなことさえ現代ではむずかしいことを示唆しているのかもしれません。
年初にあたって改めて思うことは、幼児教育とは、まず最も基本的な身体性に依拠するものでなくてならないという点です。「健康な心と身体」をこの時期にこそどうしっかりはぐくむのか。両者を別々に捉えるのではなく、つながりの発達目標として捉えていくところに、全ての幼児教育のメルクマールがあるのでしょう。
また個人や自己が強調される時代だからこそ、他者との信頼や共感関係がもっと尊重されるべきでしょう。協同性や多様性、寛容であることなどが、グーグルで学べるわけがないのです。
いよいよ年度末、卒業・進級まであとわずかとなりました。これまでの園生活の完成期、新しい時代へ、仲間どうしのつながりを高めあう、深めあう、そんな喜びの季節としたいものです。