悲しみから「生きる力」が生まれ変わる。

 強烈な寒波が続きますが、先日19日に、パドマ幼稚園は終業式を迎えました。
 前日は「お店屋さんごっこ」で子どもたちは大喜び、クラスごとにお店を出して、それぞれ歳末の「お買い物」を楽しみました。
 朝、園舎を歩いていると気づくことがあります。ローテーション、朝礼、そしてお部屋での日課活動など、私は廊下から眺めているだけですが、子どもたちの心身に漲る充実を感じます。一人ひとりの成長発達ももちろんですが、クラス集団が友だちと、先生とともにていねいに編み上げてきた共同体の結束力です。一朝一夕では及ばない、手前味噌ですが、幼稚園教育の見事な「賜物」が、この時期になって生みあがってくるのです。

 パドマ幼稚園では、今年は大掛かりな園舎大改修もあって、子どもたちにはいろいろなイレギュラーがありました。とくに教室の移設は、子どもたちにとって尋常ならざる事態であったことでしょう。2学期には年少の園児たちが毎日3階まで園舎を上り下りする毎日が続きました。担任は「足腰の鍛錬になりますから」と笑っていましたが、小さなからだには少なからず負担をかけたのではなかったでしょうか。
 にもかかわらず、この日々の充実ぶりは何ということだろう、と私は目を見開くのです。そのような変化をハンディともせず、いや逆に、日々育ちゆく大きな渦に呑み込んでいった、それは教育環境とか手法とかいう与える側のちっぽけな枠組みではなく、じつに子どもたち自身の「生きる力」そのものだと思うのです。
 よく生きて、よく育ってくれた。これは子どもたちがクラスの仲間と克ち取った成長のしるしです。またそのために全身全霊で努めた教員たちへの敬意と感謝。そんな格別の思いを今日、噛み締めています。

 子どもの内なる自然を、「生きる力」と言ったのは、亡き会長です。19日は命日からちょうどの百ヶ日でした。別名「卒哭忌」ともいい、故人を思い、泣き悲しんでいた親族や仲間たちも泣くことをやめる頃といわれています。
 人間は弱く、儚い。老いや死は彼方にあって、現在を問い続ける。悲しみのないところによろこびがないように、両者は一対の存在です。ひょっとして、その悲しみが生まれ変わって、子どもたちの新たな「生きる力」を奏でているかもしれない。そう思えてならないのです。

 どうぞよいお年をお迎えください。合掌。

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