人生80年、生まれてから80歳まで食事の回数は、何と8万回になります。豪華なグルメは別にして、食べることはつまり生きること。そして、食は何より家族や親しい仲間とともにいただくものであり、生きがいでもあります。
家庭の食事は、お母さんの手作りの愛情の場でもあります。大好きなものを、心行くまで時間をかけていただく。準備も片づけも、多くの家庭では親御さんが担ってくださっているでしょう。
しかし、幼稚園の場合は少し異なります。まず、一緒に食べるのは、同じクラスの仲間たち、配膳や片付けも自分でします。献立は除去食を除けば、子どもの好き嫌いを配慮しません。おそらくはあまり家庭ではいただかないような食材も多いのではないでしょうか。研修会で健康食育が専門の、神戸女子短期大学の平野直美准教授のお話を聞きましたが、目から鱗でした。
~子どもの「食育」とよく言いますが、それはグルメ教育とは違います。中でも味覚教育のことがよく指摘されていますが、子どもの味覚は先天的なものでなく、インスタント料理しか知らない人は劣化するように、多くの場合、環境に決定されます。生まれながらに好き嫌いがあるのではなく、多くは大人がそうさせています。食事のメニューを子どもに決めさせるよりも、大人が一緒に「おいしいね」と食べると、子どももそう感じるものです。食卓の言語を豊富にして、いろんな言語を作り出すことが大切です。「おいしいね」「甘いね」「すっぱいね」「苦いけどおいしいね」‥食卓のコミュニケーションとは、味そのものを言葉で確認し、共有するところから出発します。お母さんがおいしいといいながら食べさせてくれたものは、子どもはおいしいと感じます。子どもの味覚はお母さんが決定するのです~
子どもも嫌いなもの、苦手なものがあります。だからそれを除去していたら、一生偏食は治らない。それより、手をかえ品をかえ、言葉をかえて出していくことで、やがて「完食」することができます。「食べられた」満足は、子どもの自信や意欲にもつながるでしょう。嫌なら食べなくていいよ、では、給食は成り立たないのです。当園の給食でも、全部食べられない、食べるのに時間がかかる子どもがいます。そこを、どう食べられるように励ますのか、が「食育」の肝心でしょう。先生と子どもが信頼関係をもって、励ましあい、支えあい、ゆっくりでいいから、苦手なものを克服していく。一緒に食べる仲間の影響や感化も大きい。みんなで食べるからおいしい。そこに幼稚園の食育の精神があると思います。子どもを尊重し、子どもを敬う心とはたらき。みなと一緒がたのしい。互い励まし、支えあい、苦手なものもいつか克服。よろこびこそ、すべて活動の泉。子どもの自主性こそたいせつであって、「結果」を求めないことが重要ではないでしょうか。