「かわいい」から、わが子を慈愛する。

「Kwaii」というのはキティやポケモンとともにいまや世界で通用する国際語だそうです。欧米では、「かわいい」「小さい」「幼い」は未だ完成に至らない未成熟なものとして劣等視する文化がありますが、日本はすでに「枕草子」の時代から「なにもなにもちいさき物はみなうつくし」と「かわいい」を積極的に肯定しようとするまなざしが根強くありました。

古来日本の「かわいい」とはわが子へ向けられた慈愛ではなかったのでしょうか。小さき子どもを愛で、慈しむという行為そのものが、日本人の心性にある無条件のやさしさを表しています。「かわいい」の向こうには、だから私が支えなくては消えてしまいそうな儚いいのちへの、切実な愛おしさが横たわっています。幼きものを支え、助け、育む、という親のゆたかな情愛がそこから発露し、共同体社会においては、どの子も等しく愛でる日本人の子ども観をつくりあげてきたと思います。

「かわいい」に価値を見出し、そこに普遍的な美学を見出したのは日本人の先見だといわれます。子殺しや虐待、育児放棄といった事件が多発する殺伐とした現代、昔の「かわいい」美学を復活させることは難しいことかもしれません。が、「かわいい」がただ愛玩的なブーム語ではなく、親子の情愛を再び結びつける絆として作用するのなら、私はその感性をひそかに支持したくなりました。

ひな祭りの日に、ふとそんなことを感じました。

Pick UP

コラム・レポート

PAGE TOP