本当のクリエイティビティとは何か ―自らの専門性を問い直す―

■ノイズなき探究はない
私ごとですが、10月19日の幼稚園の行事「アート祭」と同時に、隣接するお寺・應典院内で一般向けに「極楽あそび芸術祭※1」を催すこととしました。
こちらは若いアーティストの作品展で、事前に園児とも交流して、いろんなアイデアを盛り込みました。近隣の小学校や幼稚園など教育関係者も招待しており、当日は保護者を含め大勢の方々が行き交い、子ども/大人が入り混じるアートの広場となるでしょう。
他校や他園の知らない先生方がやってくるわけですから、お迎えする側からすると、ちょっと落ち着かない気分かもしれませんが、そんな外部や他者が引き起こす「ノイズ」があってはじめてアートのチカラが発揮されるのではないでしょうか。ここでいう「ノイズ」とは、差異や違和を感じたり、偶然性や意外性や、つまり学校行事にはあまりない経験や感覚をいいます。子どもの作品を見ていると顕著に感じますが、当たり前に思っていたことがそうではない、想定外とか思いがけない発見や気づきこそアートのチカラが生み出す真骨頂です。
「ノイズ」というと、ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)という本の中にも興味深い言及がありました。

「インターネットなどによってすぐ得られる『情報』に対して、読書によって得られる『知識』にはノイズ(偶然性)が含まれる。知りたいこと以外のノイズにあふれた読書体験は遠ざけられる一方、(いまの私たちは)情報収集的にスマホばかり見ることになる」

確かに読書をしていると知らないことが次々出てくるので興味や関心の振り幅が大きく、相当に集中していないと読み解けないことがあります。逆にいえば、こうしたノイズがあるから知識欲が刺激され、もっと知りたいという探究心へとつながります。未知の世界に分け入っていく。それが読書の醍醐味でもありましょう。ノイズなき探究はない、とも思うのです。

■専門という安住に陥るな
保育者は専門職と呼ばれます。園は幼児教育の専門施設です。専門とは、その分野において高度な知識や経験(専門家であれば国家資格)が求められ、一点を深く掘り下げる役割をいいます。その意味では専門性の追究には終わりはないのですが、一方で「専門しか知らない」「専門だから他に無関心」であってよいのでしょうか。「自分だけの世界」に閉じてしまって、外の世界に対し思慮が及ばず、時に排他的になってしまい、専門という名の安住に陥っていないでしょうか。本当の専門性こそ、異なるものに対し、柔軟であり寛容であるべきだと思います。幼児教育にも同じことがいえるはずです。
「極楽あそび芸術祭」の会期中、総幼研の仲間と共に、新しいテーマの研修会(10/21-22「地域社会にひらかれ、求められる園文化をいかに創造するか」※2)も実施することとなりました。こちらは、未来社会をつくる創造拠点として園の可能性を探し出すという、新しい発想のセミナーです。園児募集や職員採用といったいつものノウハウではなく、「園文化」という新しい価値や方向性に学ぼうとしています。
アートのチカラとは、ただ作品にのみ集約されるのではなく、私たちの日常や通念を超えていく、本当のクリエイティビティをいうのだと思うのです。

※1「極楽あそび芸術祭」特設サイト
https://artfes.outenin.com/Instagram
※2「地域社会にひらかれ、求められる園文化をいかに創造するか」特設サイト
https://www.soyoken.com/special2024/

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