■信念か、エビデンスか
エビデンス(科学的根拠)が大流行りです。幼児教育を巡る新刊図書もどれも「科学」や「実証」「データ」などを強調します。ヘックマンのペリープログラム以来、この傾向はますます根強くなっているようです。また教育経済学という領域も注目されるようになりました。「幼児期の非認知能力の発達は、将来の総収入を決定する」みたいな言説がたくさん流布されました。
一昔前まで、教育にエビデンスなど邪道に等しいものでした。いまでは笑い話ですが、私にも個人的な思い出があります。
2012年、総幼研ではじめて幼児の脳活動計測実験を行いました。先代会長は難色を示したのですが、当時の理事の先生方から説得いただき、何とか実現できた経緯がありました。実際は脳科学者の一行が実験園であったパドマ幼稚園に大きな脳波計測器を持ち込んだのですが、先代会長の表情がみるみる曇るのがわかりました。頭にヘッドギアのような機械が取り付けられた園児の姿が耐えられなかったのでしょう。「神聖な場を冒涜する気か」といわんばかりでした。
父がそうであったように、昭和世代の先代園長の多くは創業者かそれに近い存在です。当園の創設は昭和28年ですが、まだ戦後の色濃い時代に、希望と理想を持って開園したその頃、誰が「教育のエビデンス」を考えたでしょうか。何よりもまず子どもの発達への熱い思いと、教育者としての強い信念が園経営を支えてきたのかと思います。
■教育の経済化
エビデンスに基づく教育(evidence-based-education)という考え方が普及してきたのは、「教育の経済化」と無縁ではありません。デジタル化が進展し、説明責任や透明性、あるいは投資効果など、教育の価値をエコノミックな観点から捉えられるようになりました。世界の教育を定量化するOECDは経済団体(経済協力開発機構)ですし、ヘックマン博士も経済学者です。現代の教育は、いまや経済によって定義されているといっていいでしょう。
うがった見方かもしれませんが、エビデンスブームとは、信念や理想にこり固まり、変化に対し閉じてしまった過去の体制に対するリアクションとも受け止められます。また率直に申し上げれば、私たち父子がそうであったように「信念対エビデンス」は、ちょうど園経営の世代交代の構図とも重なって見えます。時代の変化と共にデータ主義は重んじられ、件の脳計測実験の結果も総幼研の正当性を証明する有為な実績となったのです。
だからといって、ここで「エビデンス万能」と持ち上げたいのではありません。そもそも計画や行為の確実性がとらえにくい幼児教育という営みにおいて、しばしば状況やケースに応じた柔軟な判断や行動が求められるものです。豊かな子ども観には保育の現場の経験や知見が欠かせません。エビデンスを鵜呑みにするあまり、肝心の点を見落としていては本末転倒でしょう。
パドマ幼稚園ではいま、園児の発達過程に沿ったエビデンスづくりを進めています。外部の専門家頼みでなく、保育の現場からエビデンスを発信していこうという試みですが、そこにはデータだけでなく、教員の長年の経験で培われた直観や発想も反映されようとしています。
本当に有為なエビデンスとは外部からもたらされるものではありません。まずは日々の実践をたいせつにしながら、そこへ新たな研究の視点をどう盛り込んでいくのか、その横断的な関係づくりが求められると思うのです。