ドイツの幼児教育を見て考えたこと
■森の幼稚園の驚き
お盆が終わってからしばらくドイツのベルリンを訪問し、いくつかの幼稚園を視察してきました。レッジョ方式の幼稚園、幼保一体型の新しい形態であるKITA、そして念願だった森の幼稚園にも伺いました。どの園にも個別の特色があるのですが、共通しているのは子どもの自主性を第一に優先すること。日本人からは放任? と見誤るほど、子どもに対する不干渉が徹底していました。
とりわけ、森の幼稚園に驚嘆しました。発祥は北欧ですが、ドイツにて最も普及しているのが自然幼稚園=森の幼稚園です。園舎で囲まれた敷地や園庭を持たず、豊かな自然環境の中で子どもの自由に任せ、のびのびと遊ばせます。机がない、ピアノがない、日案もカリキュラムもない。幼児教育の「常識」が覆されました。「指示はしない。森へ入れば子どもは自由に遊ぶ。危ないことはさせないが、任せて見守る」「子どもの自主性を育むためには、子どもと先生の信頼関係がたいせつ」と案内役の若い副園長は熱っぽく語ってくれました。
もちろん日本においても、自主性の尊重は同じです。信頼関係なくして保育は成り立たない。そこは大いに共通するのですが、やはり文化や風土のギャップを感じないわけにはいきませんでした。放任か設定か。むしろ、その違いから際立たせるべき、日本の保育、私たちの実践の特徴とは何か、そのことに思いを馳せる経験となりました。
■個か、集団か
また、ドイツにはフラットな園庭がありません。凹凸があり、坂道があり、砂場が園庭の真ん中にあったりする。つまり最初からクラスごとの整列や行進などを前提にしていないのでしょう。そこには集団の規律や秩序よりも、徹底的に個の自主性を優先する教育があります。
一方で日本はどうでしょうか。人類みな個体として生まれますが、その後の生育環境には地域差、文化差は顕著です。家族や地域、園など子どもが参加する共同体(集団)の質量はやはり世界共通とはいかない。ドイツでは赤ちゃんはひとり寝ですが、アジアでは親子川の字で、がまだまだ多い。
子どもの自由を担保し、自発性や主体性の芽生えの架け橋となるものが幼児教育の使命であるところは、何の違いもありません。が、そこへ至る筋道は相当に違う。ドイツのそれが子どもの自由に任せるに対し、日本では集団の規律と生活環境を重んじる。子どもと教師が共に課題を共有して、共体験をくり返しながら、いつの間にか無意識に習熟していく。そういう生育過程を取ります。
園は、同一年齢の幼児と生活を共にしながら、お互いよい刺激を交換し、興味や関心の幅を広げるというところです。そういう好ましい集団活動における協同性を通して、子どもはやがて主体的に活動に参加できるようになることでしょう。個か、集団か。彼我の違いを痛感するのです。
どちらが正しい、というものではありません。各文化において幼児教育は独創的なものだし、園も色々あって当然です。むしろ、多文化が共生を目指す多様性の時代だから、私たちはもっと異なるものへ目を向けなければならない。そう思うのです。