幼児教育を
通して
国際交流を
考える。
2018年4月公開
福山市立大学教育学部児童教育学科教授
劉郷英さんに聞く
21世紀に入り、経済、情報のグローバル化がますます進む中、「多文化共生」ということばに注目が集まっています。国籍や民族などの異なる背景を持った人々が、文化的な違いを尊重して認め合い、対等な関係を築いて、共に生きていくという意味です。福山市立大学教育学部児童教育学科教授の劉郷英先生は幼児教育・保育の専門家として、東アジアの多文化共生社会への転換期に、多言語・多文化環境における幼児の言語発達の研究や、幼児教育・保育の国際比較などの研究をされています。
今回は、日本と中国の幼児教育・保育の違いや、総幼研教育についてもお話をうかがいました。
劉先生は、生まれも育ちも中国とお聞きしましたが、なぜ「日本」に興味を持たれたのでしょうか。
私の幼年期は文化大革命の時代でした。その時代に大学受験はありませんから、子どもの頃に大学に通うなんて想像もできませんでした。ただ一生懸命毎日を生きるだけでしたが、勉強は好きでしたね。当時の中国は鎖国のような状態だったので、外の世界、特別アメリカへの憧れは強く、英語の勉強はよくしました。
高校へ入学した時に文化大革命が終わり、ようやく大学進学の道が開けたので、英語を学ぶ道へ進もうと決意していました。その時に、高校の地理の授業で、日本が敗戦後に素晴らしい復興を遂げているということを聞き、日本に対してとても興味を持ちました。そこで第二外国語は日本語にしようと思いましたね。
しかし当時は、2人の合格枠に400人が受験するという狭き門でした。私は英語学科を不合格になってしまいましたが、大学から連絡があって「あなたは0.5点足らずに不合格だったから、日本語学科なら合格にしてあげる」といわれたのです。わずか0.5点!(笑)
私は何も躊躇しませんでした。だって、第一外国語と第二外国語が入れ替わっただけなのですから。そして、日本語を学ぶことになりました。
そこから大学を卒業し、大学院も出ました。ちょうどその頃、中国政府は、海外留学によって人材を育成するという方針を取りはじめたのですが、いかんせん国にお金がない(笑)。そこで自分の力でアルバイトしながら勉強して、いずれ中国のために活躍する、そんな人材を育てようと私費留学の制度をすすめていました。私は日本語を話せたので、その私費留学で日本に学びに来たのです。
そこからどういう経緯で教育に関心を持たれたのでしょうか。
私は中国の大学で言語学を学びましたが、やはり、中国の未来について考えるところがありました。その頃、天安門事件も起きました。中国の若者は皆、未来を案じていたのです。どうすれば国がよくなるのか。私は「教育こそ国を振興させる唯一の道なり」と強く信じていました。なので、日本の大学に教育学を学びたいと掛け合ってみました。
いままで学んできたこととは全く畑違いの学問でしたが、京都大学は、まず研修員として教育学を基礎から学習する機会を与えてくれました。大学院に入ってから、特に乳幼児期の発達と教育について深く学び、就学前の教育が人間形成にとって如何にたいせつであるかを強く感じたのです。
当時、上田閑照(しずてる)先生の著作である「十牛図(じゅうぎゅうず)」と出会ったことも大きかったですね。仏教的な観点から真の自己を求めるといった作品ですが、私の中にある東洋的な思想の原点になっています。
また、私の好きなことわざで、中国に「殊途同帰(しゅとどうき)」ということばがあります。これは手段や方法、道筋が違っていても結果や結論は同じところにたどり着くという意味です。西洋であれ東洋であれ、日本であれ中国であれ、よりよい結果、幸せに向かうためにどうすればよいのかを考えた時、私は教育、特に就学前教育に行き着き、比較文化の研究を志したといえますね。
中国と日本の幼児教育・保育の比較研究の内容を、少し具体的にお話していただけますか。
中国の幼児教育・保育は近年の急激な経済成長によって、やっと質が高くなってきました。具体的には、施設設備の整備や、国家レベルでの公費研修による保育者の質の向上、国内外の先進的なカリキュラムと教育方法の導入などがいえます。とりわけ、2010年以降は、政府より乳幼児教育・保育改革を推進する10項目の課題がうち出され、中国の幼児教育・保育は本格的に黄金期が訪れようとしているのかもしれません。今後の課題としては、「いかにして中国独自の幼児教育・保育方式を模索し、構築していくか」だと思います。
一方、日本の幼児教育・保育には、明確な理念がありますね。長い伝統や歴史があり、独自の教育・保育方法も確立され、研修や講習なども盛んに行われています。しかもこれが民間の力によってボトムアップで構築されてきたことが素晴らしいですね。今後、日本独自の幼児教育・保育方式を自信をもって世界に発信していくべきだと思います。
劉先生は中国の教育関係者を招いて、日本の幼児教育・保育を視察されていますが、反応はどうでしたか。
総合幼児教育研究会の会長園であるパドマ幼稚園を訪問したことには意義がありました。先生と子どもたちの溢れ出る生命のエネルギーに圧倒されました。とりわけ、園庭でのお誕生日会における一人ひとりの子どもたちが語った「夢のことば」や年長児の日課活動における「般若心経」の斉唱など、視察団一同いたく感激しました。
総合幼児教育研究会の実践のもと、「慈悲と智慧、すなわち、かしこく、やさしく、たくましく、全てに輝く仏の子を育てる」というパドマ幼稚園の仏教教育理念は、このように一人ひとりの子どもの育ちによって確実に実現されています。これら「仏の子」がいるからこそ、日本の未来にはきっと平和で明るい世界が訪れるだろうと確信しています。これこそ、園の教育実践の意義であり、真髄であると思います。
その視察団のメンバーで南京師範大学の王海英教授の感想を紹介します。
「はじめての日本訪問ですが、パドマ幼稚園を見学して、次のようなことで感動しました。
【1】見るもの聞くもの全てが新鮮に感じられる独創的で伝承的な園作りの理念。
【2】専門性があり、細かく卓越性を追求する園運営。
【3】職業を敬い、天使のような情熱と専心を持っている園の教職員。
【4】自制心、秩序感、集団心のある子どもたち。
【5】順序性、構成性、挑戦性のある戸外活動。
他にもたくさんのことが学びになりました。今後、機会があれば、もっと深く学びたいと思います」
でもこの王教授、はじめはあまりに衝撃的だったので「これは嘘だ。視察団のための見せかけだけのパフォーマンスだ」と思っていたのですよ。もちろん最後には本物(笑)だと信じてくれましたけど。
劉先生は絵本も書かれていますよね。どういった経緯で書かれることになったのですか。
私の幼児期は、文化大革命の最中でしたから、幼児園(日本の幼稚園・保育園)は寄宿制でした。週に一度しか家に帰れません。あの頃のことは、今でもトラウマになっていて、寂しく、悲しい時間でした。
しかし、大人になり、ちょうどその年頃の娘に絵本を読み聞かせていると、あの時にもし、絵本を読み聞かせてもらえていたら、私のトラウマはどれだけ変わっていただろうかと思いはじめ、絵本という媒体にとても興味をもつようになりました。
それと、主人が失業した時のこと、「私が働くから、あなたはお金の心配をせず好きな仕事をすればよい。何がしたいの」と聞きましたところ、主人は「絵本の絵を描きたい」といったのです。もともと日本画を学ぶために日本へやってきた人ですから、驚きませんでした。「じゃあ私がお話を考えましょう」と。それで絵本をかくようになりました。
最後に当会の先生方へのメッセージをいただけませんでしょうか。
まず秋田先生は、総幼研の教育は日本を代表するものではないとおっしゃっていましたが、世界から見るとまさに日本的な教育だと感じます。ですから、もっと世界に発信できる教育であると思っていただいてよいと考えますね。
幼児教育は長年の歴史がありますが、就学前の教育が、いまほど重要視されている時代はありませんでした。ですから、そういった仕事に就かれている先生方は、最前線に立っていてご苦労も多いかと思います。けれど、自分たちの仕事にぜひ誇りを持ってください。自分たちが未来をつくっているのだという自負を持ってこれからも頑張ってください。
それと国際交流は、今後さらに積極的にやってほしいですね。いまは研究会や交流会などもあります。参加すればきっと自分を客観視できるもうひとつの眼ができるはずですし、自らを再確認できると思います。せっかく素晴らしい教育をされているのですから、それを海外の人たちと分かち合ってほしいですね。