■オーラル・コミュニケーション
NHKの大河ドラマ「西郷どん」がはじまりました。放送の1回目、隆盛の少年時代の回では、彼を育てた「郷中(ごじゅう)教育」が紹介されています。
「郷中教育」とは、方限(地域のエリア)ごとに6歳から15歳くらいの少年が集まり、そこに年上の先輩がついて行う自習システムです。いまの教育はもちろん、幕末において、日本中に広まっていた藩校とも全く異なる薩摩藩独自の制度でありながら、そこから大久保 利通、東郷平八郎ら明治維新の立役者 が多く輩出されています。
私が最も注目するのは、郷中教育で は徹底した「オーラル・コミュニケーション」、すなわち口述対話が重視されたという点です。
具体的にはこんな感じです。子どもは、早朝からひとりで先生の家に行って儒学や書道などの教えを受け、次は子どもだけで集まって、車座になり「今日学んだ内容」を持ち寄り、口頭で発表し合います。決まった教室もない、テキストもない、思想的な統一や強制もない。よい意味で多様性が担保されていて、そこでは互いに綿密な「チェック」や「シェア」が行われたといいます。
さらに、藩にかかわる問題を仮想して、その解決策を語り合う学び(詮議)もやっていたとか。じつに恐るべき子どもたちだったのです。
■キー・コンピテンシーの源流
当時の幕府が推進した藩校教育は儒学中心のテキスト学習でした。文字の普及によって教育は近世化されていくのですが、当時最も識字率が低い地域であった薩摩においては、このような独自の教育風土が育まれていくのです。
申し上げたいのは「昔の日本はよかった」ということではありません。そういう日本の教育風土には実は古くて新しい可能性を潜在していたのではなかったのでしょうか。
米国の高名な発達心理学者が書いた「科学が教える、子育て成功への道(扶桑社)には、これからの教育に必要なキー・コンピテンシーとして「対話能力」「批判力」「問題解決能力」などを挙げています。その多くは、テキスト自習型ではなく、他者コミュニケーションが原則であり、そこから協働、交流、創造や自信を産み育てることです。その源流を郷中教育に見出せるのではないでしょうか。
そして、同書にあるように、大人の役割は「子どもの興味や関心を探り、子どもの問いに反応し、子どもが知りたいと思っていることを語り、子どもが問いを追究して行くのをサポートする」 のであって、決して教えたり急がせたりすることではない、ということも肝に銘じておきたいと思います。
今年は明治がはじまって150年。いま、教育改革が進む中、私たちの実践においても「温故知新」の心を見出していきたいものです。