あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、年初にあたり改めて日本の幼児教育について考えてみたいと思います。昨年の9月、パドマ幼稚園に中国から教育視察団をお迎えしました。南京師範大学教授ら専門家10名による本格的な視察で、コーディネーターと通訳は、日本の福山市立大学の劉郷英先生が担当されていました。
日を改めて、劉先生からレポートをいただきました。一行は当園を含めた数園を見学されたそうですが、最終日の意見交換会で、皆がそろって「実践に〈震撼〉した」というのです。実際こんな声がありました(一部抜粋)。
「それぞれの活動の中で、荘厳たる儀式、先生たちの旺盛な情熱と前向きな意欲、子どもたちの壮大な体育運動と秩序感など震撼させられました。子どもたちの身から、気力と自信満々の達成感が満ち溢れています。こうした教育環境から生まれた楽しさは深いところから湧き出てくる魂のある精神的財産です。それぞれの活動において、命令も強制もなく、絶え間ない激励の中で、子どもたちが次から次へと自己を突き破り、自己を超越し、不可能を可能にかえていくのです」(幼稚園園長)
他の方からの声も「明晰で揺るぎない理念」「教師の示範の的確性」「順序や構成にすぐれた屋外活動」など、専門家として正鵠を得たもので、ありがたいものでした。
外国の方の視点とはある意味新鮮で、また本質を射抜いていると感じることが少なくありません。
教育実践をことさら自慢したいのではありません。じつは、そういう外国の方の「震撼」の背景には、日本独自の教育観や教師像が横たわっていると感じるからです。
最近、フィンランドやシンガポールなど世界の「学力先進国」をルポルタージュした「日本の15歳はなぜ学力が高いのか?」という本を読みました。英国人ジャーナリストが5ヵ国の教育現場を体験取材した内容ですが、各国の教育事情が大きく異なることに驚きます(ちなみに、邦題にはやや疑いありですが)。著者は、日本的な教育良心として、誰にも等しく能力があるという平等感や、教育の目的は集団の一員として生きること、を挙げていますが、私たちにはごくあたり前の「常識」でも、それは「世界の常識」ではないと考えさせられました。
身近なところで国際化が進み、世界の情報がどんどん入るようになりました。それは世界の多様性に学ぶと同時に、日本のオリジナルを再評価する機会でもあります。私たちがあたり前と思っている教育文化を、今一度、丁寧に見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
日中の保育を比較研究されている劉先生から、こんなコメントをいただきました。
「戦後日本の乳幼児教育・保育は、欧米の先進的な理論や方法を取り入れながら、自らの伝統や文化を積極的に取り入れて、独自の教育理念や教育方法を創出し、ユニークなカリキュラムを編成してきました。こうした先進的な経験を今後の国際交流に大いに貢献することができると思います」
私は、それを総幼研の教育実践へのエールと受け止めてさせていただきました。