子どもの内なる力を引き出すために。「森のようちえん」に思うこと。

■自然から気づきを学ぶ
4年ほど前に、ドイツを訪れた時、本場の「森のようちえん」を見学する機会に恵まれました。天然のままの森の中に天幕を張って、園児たちが共同生活をしていたのですが、日本の幼稚園の光景に慣れ親しんだ者には、ちょっとしたカルチャーショックでした。
森林の中で子どもが感性を研ぎ澄ませ、自然とのかかわりを学ぶとして、このムーブメントはドイツやデンマーク、北欧でひろがっているとか。多分にヨーロッパ的な文化と風土が背景にあると見たのですが、これに倣って最近は日本でも「森のようちえん」の全国ネットワークがひろがりつつあります。
日本もまた自然に恵まれた森の国ですから、また最近のSDGsとも親和性もあり、注目される理由はわかります。豊かな自然にふれ、「なぜ」「どうして」と気づきや問いをはぐくむ経験はすばらしいものでしょう。
私も信頼する教育ジャーナリストのおおたとしまささんの著書「ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル」(集英社刊)には、そんな日本のケースが多数紹介されています。ほんとうに山間部の園もあれば、横浜や八王子のように都市部の園も登場します。そこで得られる経験の豊かさや時間の深さは、いわゆる「〜ができる」幼児教育とは一線を画しているとあります。

■豊かな自然環境をどう開くか
そのことに異存はないのですが、少し気になったのが、「エビデンスなんかで測れるものはそもそも本質的じゃない」という関係者の発言でした。「森のようちえんではむしろそういう言語化できないものの価値をまるごと直感的に感じとる感受性をもつひとを育てようとしているのだ。それこそいま話題の非認知能力とも言える」とおおたさんも書いています(文春オンライン 2021年10月16日 )。
この本の帯にも「自己肯定感、非認知能力、身体感覚……(中略)北欧発祥の新しくて懐かしい教育法!」とありますが、そのことを認めつつ、だから日本の既存の幼児教育を相対化して、「目的主義」とか「成果主義」と安易に決めつけないでほしいとも思います。曰く自然志向の森のようちえんが人間的であって、漢字や英語を使うのは能力主義だ、みたいな単純な対立構図に対する違和感があります。
総幼研の園も保育の質を上げ、非認知能力や身体感覚をはぐくむことを目的としているのは同じです。日課活動は「〜ができる」ための教育ではないし、ローテーションは体育のエビデンスのために取り組んでいるわけではありません。非認知能力の発達は、見た目で何をしているかではなく、それぞれの活動に込められたねらいが子どもたちの主体性をはぐくみ、引き出すところにあるはずです(その意味で、同書の中でおおたさんが公文式のプリントを取り上げて評価しているところは大事な指摘です)。
総幼研にも「森のようちえん」があります。広島県呉市の焼山みどり幼稚園には、3000坪の園庭がありますが、園舎の裏手には広大な森があって、園児はそこで毎日自由に駆け巡っています。そして保育室に戻れば、毎日日課を積み重ね、それぞれが「やり抜く力」「自制心」をはぐくんでいます。
もっといえば、森があるかないか、ではないのです。願いは、自然環境をいかに子どものために開くことができるか、また子どもの内なる力を引き出せるか。総幼研もまた、同じ地平を見ているはずです。

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